“誰かのため”に生きていない人生はつまらない
最近、「何のために生きるのか」と考えることがあります。
というのも、婚約破棄+新型コロナウイルスの影響で、家に1人でいる時間が圧倒的に増えたからです。しかも幸いなことに、仕事もそれ程忙しくありません。
土日祝日は食材を買いに行く以外は、ひたすら家でゴロゴロしています。
例えば、ある日曜日のスケジュール。
・朝6時に目が覚める
・スマホでスポーツニュースなど、ネットサーフィンを30分行い、再び寝る
・次に目を覚ましたのは8時過ぎ
・Fireタブレットで、kindleの漫画を1冊読み(過去に購入してあった漫画)、再び寝る
・次に目を覚ましたのは10時過ぎ
・カップラーメンを食べながら、録画したワンピースを観る
・窓から入る心地良い風を感じながら、またウトウトと眠る
・次に目を覚ましたのは13時半頃
・スマホで野球速報を見たり、ネットニュースや漫画を読んで時間をつぶす
・16時~17時まで、また寝る
・起きてからはまた漫画とネットサーフィン(スマホ)を行う
・20時頃、アマゾンプライムビデオを観ながらご飯を食べる
・21時頃、シャワーを浴びる
・スマホをいじって時間を潰し、25時頃就寝
基本的に、寝るかスマホをいじっているかです。
そこには何の生産性もありません。
しかも、僕自身がこれを楽しいと思っていません。寝るのは気持ち良いですけど。
こんな人生、何の意味もありませんよね。
死ぬまでこんな生活を続けたところで、後には何も残りません。そして、誰も幸せになっていません。
生きているのか死んでいるのか、わからないような生活です。
世の中には、1人の生活の方が楽しいと感じる人もいます。
でも、僕はそうではないようです。
普通の人と比べると、1人の生活が苦ではないタイプの人間だとは思います。逆にみんなでワイワイって苦手ですし。
でも、「1人が楽しいか。幸せか?」と言われるとそうではありません。
僕にとって、自分のためだけに生きている人生はつまらないということなのでしょう。
事実、婚約破棄女と同棲しているときには、「彼女の役に立ちたい。」「彼女が喜ぶように頑張りたい。」と考えていて、生活にハリがありました。
まあ、昼間まで寝ていて怒られたり、向こうにとっては、「望んでいることを全くしてくれないダメ男」だったようですが・・・。
でも、僕の行動の根底に、「彼女と、将来生まれて来るであろう子どもを幸せにしたい。」という思いがあり、それを基準に生きていたのは間違いないです。
人間って、自分のためより誰かのための方が頑張れる気がするんですよね。
今僕が1人になると、何のやる気も湧いて来ない。何をしていても、それ程楽しいと感じない。
食事もそうです。婚約破棄女が喜んでくれるから、焼肉も行ったし、お寿司も食べに行きました。でも、自分一人が食べるだけであれば、最低限のもので良いと、そう思ってしまいます。
かと言ってあれです。
「誰かのため」とか言っても、見知らぬ人のために、ボランティアをしたり、NPOに入って活動しようなんて、立派な考えは持ち合わせていません。
だから正確に言うと、「"好きな人のため"に生きていない人生はつまらない。」。こっちですね。
はぁ。
そのためにはやはり、好きな女性を見つけるための婚活をしないといけませんね。
それは頭ではわかっています・・・。頑張りましょう。
駄文、失礼しました。
ひろし
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